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2007年05月19日

ディアスポラ。

前にも書いたけどグレッグ・イーガン非常に素晴らしい。
自分が文系に生まれ付いた事を呪ってばっかりだ。

表題ディアスポラ、これまた良すぎる。
攻殻機動隊の10世紀くらい後の文明水準だ。何しろ人間の標準がソフトウェアってのがいい。
※そんだけ発達しておきながら各位の行為がプリミティブな感情に支配されているあたり、諸矛盾が生じているはずだがあんまり触れてないのもいい。

肉体がハードウェアなんじゃんか、と言う発想は新しくもない。
かくいう円蔵も中学生あたりからそういう認識でいた。
学生のときにリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んで、
ますます想いを強くしたもんである。
但しこの頃の認識は意識が遺伝子にスレーブしている図が優勢だったのだが、
ややあってコペルニクス的転換が訪れる。

要は非常に醒めた目で制御不能の自分を客観視している主観と、
まったく制御不能な自分自身の主観が並列して意識できる状態がしばらく続いたのだ。
半壊した自分自身(たとえば突然泣き出すとか)と、
切り離された自分自身(それを異常だと認識していておもしれーのと俯瞰しているとか)がデュアルでブートされていて、しかも統合されているという。
徐々に後者が前者を支配するようになって今に至ってるのだけど。

やっぱソフトウェアがハードを支配してるんじゃねえかな、
主観という主観的事実を肯定するならば、
という確信がそのあたりで生まれた。

その意味でディアスポラの登場人物にはリアリティがあるように思う。
別に自分が何人複製できようが、見た目が筐体であろうが、思考を支配できる主観が共有されて承認されていて協同していさえすれば個人は関係性の中で人間なんだろうな。
関係性の中でとか意識できる機能が人間的だというか。

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