パラダイス・ナウと死生観。
パラダイス・ナウを鑑賞したので、そのうち感想文でも書こうと思ってたら、
訃報が続いたのでこのタイミングに。
この映画は占領下でおよそ文化的でない生い立ちを強いられた若者が自爆テロにアサインされてから実行までの48時間を比較的ドラマチックに描いた青春映画だと円蔵は認識しているが、
自爆テロルで直接絡みの無い占領国の人々を巻き添えに飛び散る事の正当性はパレスチナの過激派が原理としている経典でいうところの神に全面委託しているために漠然としがちなのだが、
「みんなが飛び込んでいるからお前も飛び込め」に近く、「紳士だから飛び込め」にも近いようでいて、
飛び散る建前での「天国に行ける」とか「英雄の家族の生活は保障される」とか、その辺飛び散る本人はどうとも思っちゃいねーんじゃねーか、と思える節が多い。
もはや死ぬべきときが向こうから来たので飛び散りました、とか、
飛び散るから飛び散りました、に近い感覚だと思う。
死んでも何の解決にもならないと誰かは追悼エントリで書いていたけれど、
死のうが生きようが何の解決にもならないことのほうが多分多いんではないか。
解決できるかもしれないと期待するから生きる向きが多いというだけで、
別に解決しようとすら思わないで飛び散る日常もあるんだと、
そういうことがわかる映画。
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